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変貌する「残暑」2024.08
俳句における季節は、春・夏・秋・冬・新年と五つに分かれていることをご存じですか。更に、各季節は、「初・仲・晩・三」の四種類に分類されているのです。例えば、中秋の「名月」「十五夜」「満月」は仲秋の季語。「朝寒」は、秋も末になって感じる寒さを現す晩秋の季語。「秋風」は、秋という季節を通じて吹くので(初秋・仲秋・晩秋を合わせての)三秋の季語とされています。
今回は、残暑の話をしようとしているのですが、そもそも「残暑」とは、立秋を越えてからの暑さを指す初秋の季語。暦の上での立秋は八月初旬ですから、体感的には暑さのピークといった感じです。
三ケ月に残る暑さのたのもしき 小林一茶
「三ケ月」は、太陽が沈む時間帯、西の低い位置に見られます。新月から三日目の細い月に、昼の暑さが残っているかのようだという一句ですが、それを「たのもしき」と面白がるのが、いかにも一茶らしい飄々たる味わいです。
茶屋の灯のげそりと暑さ減りにけり 小林一茶
茶屋に灯が入る頃ともなれば、暑さが「げそり」と減ってくる。下五「けり」は、気が付けばそんな季節になってきているよという詠嘆を表しています。独特のオノマトペ「げそり」に、実感がこもっていますね。
一茶が生きた頃から使われている初秋の季語「残暑」に、異変が起こっています。昨今は、八月どころか九月十月になっても強烈な残暑に襲われることが多くなっているように思いませんか。
特に今年の夏は、三十五度を越える猛暑日が多発。日本列島の最高気温予想図は、連日真っ赤っか。三十度ぐらいだと、「今日はちょっと凌ぎやすい」なんて挨拶を交わしたほどです。
こんな年が続いていくようになると、「残暑」は初秋ではなく仲秋、いやいや三秋の季語となってしまう?! という危機感が、笑い事ではなくなる日が来るかもしれません。「残暑」という季語の今後の変貌を、注視していきたいものです。
「水無月」を味わう2024.06
「水無月」とは、陰暦六月のこと。陰暦とは、月の満ち欠けを基本として太陽の運行を組み込んだ古い暦です。これに対して、現在使われているのは陽暦。こちらは、私たちの住む地球が、太陽の周りを一回転する時間を一年と決めています。
陰暦六月は、陽暦では七月。ほぼ一ヶ月の違いがあると考えていいでしょう。六月から続く梅雨、そして梅雨が終われば強烈な太陽が戻ってくる七月。読んで字のごとく、暑さによって水が枯れて無くなってゆく月でもありますが、「水無月」という美しい響きには、得も言われぬ魅力があります。
水無月やこゝに暑さも涼しさも 松瀬青々
暑さがあるから、人々は涼しさを求める。俳句では「暑し」「涼し」も夏の季語ですから、堂々たる季重なりです。が、この句は、上五で「水無月や」と詠嘆して、これが主たる季語であることを示し、中七下五に二つの季語を配置しています。当に、暑さも涼しさもあるのが水無月のこの時期であるよと言い放ちます。ここまで正直にそのままを書くのは、なかなかに勇気が必要ですが、言ったもの勝ちともいえるコロンブスの卵のような一句です。
水無月の魚に塩を効かせけり 鈴木真砂女
梅雨から梅雨明け、そして暑い夏本番。七月は、食物が腐り易くなる時期でもあります。上五「水無月」のような時候の季語は、具体的な映像が極めて少ないのですが、この句の場合は、中七「魚」の一語でぬめぬめした手触りや生臭い匂い、「塩」の一語で色や塩を振るときの感触などが一気に再生されていきます。
最後の「けり」は詠嘆。何気なくやっている作業ではあるけれど、「水無月の魚」にはいつもよりしっかりと塩を効かせている自分に気づいたよ、というニュアンスでしょうか。
目に触れるものを「水無月の橋」「水無月の木」「水無月の雲」等、「水無月の○○」と捉えてみると、いつもとは違う表情に気づけるかもしれませんね。
花は桜2024.04
俳句において「花」といえば、「桜」を意味します。三大季語「雪・月・花」の一つ。大きな世界を内包した奥行の深い季語です。
「花」と「桜」には、それぞれ沢山の傍題があります。(傍題とは、関連季語の意。俳句では、本来の辞書的意味を離れて、慣用されている言葉です。)
俳人たちは、自分がその年初めて目にした桜を、「初花」「初桜」と呼びます。「初」の一字は、季語を愛でる心なのです。
旅人の鼻まだ寒し初ざくら 与謝蕪村
初桜に出会った旅人の鼻が、寒さで赤くなっているのでしょう。桜が咲く頃の寒さを「花冷」と呼びます。旅人と共に、初桜を見上げているような心持ちにさせてくれる一句です。
染井吉野にさきがけるのが山桜。赤茶色の葉と同時に白い花をつける姿が、印象的な桜です。
山又山山桜又山桜 阿波野青畒
漢字ばかりを連ね、山並みとそこに咲く山桜の様子を表現した一句。ついつい口をついて出てくる口誦性も、この句の魅力です。
時々こんな質問を受けます。「『花』と『桜』はどう違うんですか。『花』が2音、『桜』は3音。音数の違いですか」と。いやいや、それだけではないのです。
花の雲鐘は上野か浅草歟 松尾芭蕉
山に花海には鯛のふゞくかな 松瀬青々
これらは、日本の伝統美を核とした装飾的な「花」です。「花」という概念が、華やかな映像と化しているような感覚。金の下地に描かれた日本画のように鮮やかな印象がありますね。
売ものゝ札を張られし桜哉 小林一茶
したゝかに水をうちたる夕ざくら 久保田万太郎
かたや、「桜」は植物としての実体に軸足がある季語です。二句共に、写実的に桜を描いており、実景としての確かさがあります。
「花」と「桜」を味わい分けてみる。これもまた豊かな時間です。
いい、つばきの日2024.02
私の住んでいる俳都松山の市花は、椿です。一月二十八日を、「いいつばき」と語呂合わせして、そこから約三ヶ月間さまざまなイベントが開催されます。その一つが、「いい、つばきの日」記念イベント リモート句会ライブ。今年も、道後上人坂にある「ひみつジャナイ基地」から、生配信で句会ライブを楽しみました。
ままごとに椿の並ぶ日曜日 暖井むゆき
松山市文化・ことば課の皆さんが、折り紙の椿を飾り付けて下さったホワイトボードを背に、息子の家藤正人と二人で進めていきます。バックヤードには十数人のスタッフ。第四回となる今回はチームワークも抜群。余裕の表情で準備が進んでいきます。
手のひらへ移す椿の熱量は 亜桜みかり
私と正人の座っている卓には、さまざまな種類の椿がそれぞれ一輪挿しに飾られています。なかには、「子規」「律」と名づけられた椿も。松山の俳人正岡子規の名を冠した椿は、透明感のある白。子規の妹である律の名の椿は、優しいほのかな桃色。「子規さん」と親しみをもって呼ばれる兄と、その兄の看病に尽くした妹。松山市民に愛され続けている兄妹とその椿です。
大切な物は椿と共に置く 柿司十六
生配信が始まる二十分以上前、すでに九十人を超える皆さんが待機しています。チャット欄では「今年もこの日がきましたね」「初めての参加です、よろしく」「パソコンとケイタイ、二つ用意しておくと、視聴と投句がスムースにできますよ」と、参加者同士の交流が始まっています。中には、「間に合いました」とイギリスから、「こちらは朝の六時です」とドイツからの参加者も。世界がこんな形で繋がることができるとは、なんという時代の恩恵でしょうか。
パンドラの匣を椿で満たすまで 広瀬康
今回、最優秀賞にいただいたのは、この句です。パンドラの匣から逃げ出したのは「災い」たち。匣の底に残ったのは「希望」。予想もしない災いから始まった二〇二四年ですが、明るい椿のような希望を心に掲げ、助け合っていきたいものです。
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